「権利」であって「義務」ではない。

id:chieko_san:20041202#p2さん経由で目にした質問(question:1100077267)に、負け犬街道驀進中のワシでも少し考えさせられた。
「結婚してるけど子供は産みたいと思わない。しかし、子供を産まないことは社会に対して責任を負ってないような引け目を感じる。だから『子供を産みたい』と思えるように説得して下さい」という内容だったのだけども、それに対して言及している日記を巡っていくうちに、id:yasai:20041110#1100087275さんがおっしゃるように、やはり『縁』というのがいちばん合っているというか、いちばん近いんじゃないかな…と思った。
結婚するのも縁ならば、子供に恵まれるかどうかも縁…というか、人間と人間の間には、家族であれ、友人であれ、そうでない関係であれ、すべて『縁』で結ばれたものではなかろうか?
『縁』の「ある」「ない」「濃い」「薄い」なんて人それぞれだし、画一化して欲しくなどはないのですよ…『縁』が「薄い」者としてはね。
父と祖父を立て続けに亡くしたとき、親戚のオバちゃんに「あなたは家族の縁が薄くてかわいそう」みたいなことを言われたことがあったのだけど、ワシの中でその時点ではもう家族というものは「増える」ものではなく「減って」いくものと認識していたので、「縁が薄いからかわいそう」とか言われてちょっとムカッときたというか、そうやって世間一般の基準と比べないで欲しいと思ったものです。
確かにこの質問者さんのように、ワシだって結婚も出産も諦めて負け犬街道驀進中なんで、結婚しないことに対する引け目みたいなものは確かにありますよ。
しかし、家族の縁、結婚(恋愛)の縁、その他諸々の縁が薄いと、あがいても仕方ないというか、なるようにしからならんわ…と思ってしまうわけですよ。
まぁ、コレは唯一残っている家族が死んで、たった一人になってしまったら考えは変わるのかもしれませんがね(苦笑)。
そりゃ、結婚して子供も産んで、フツーの家庭を築くことを夢見ていた頃もありましたよ。でも2度のアタマ病むほどの介護生活で「自分はフツーの家庭を持つことなんぞ無理なんだ」という諦めの色が濃くなり今に至っております。
もう、あまりにも「両親と兄弟姉妹(+祖父母)がいるフツーの家庭」とのギャップが大きかったんですな。…というか、そういう方々との「フツー」とワシの「フツー」のギャップというか。自分の様々な「フツー」が、そういう方々から見ると「かわいそう」とか「常識(フツー)じゃない」とか思われるたび、ワシのフツーは「劣ったもの」だった=ワシは「劣っている」のか…と、再びアタマを病んでしまったりもしたのですが(苦笑)。
それと、ワシが結婚も出産も諦めてるもうひとつの理由は、2度の介護生活で「こんな思いするのはワシ一人で充分だ…」という思いがあるから…ってーのもある。
そりゃ、父だって祖父だって好き好んでワシにあんな思いさせたんじゃないというのは分かってるけど、それでもワシは自分の夫や子供にアタマ病むほどの思いはさせたくないよ…。
まぁ、深くツッコんで自分の考えを連ねていくとダウナーに陥りそうなので自分自身の思いはこの辺にしときますが、結局何が言いたいかというと、結婚も出産も「社会に対する責任を負ってないという引け目」を解消するためにするものではないってことですよ。少なくとも、結婚も出産も『権利』であって『義務』ではないんですからね…って話です。もちろん、権利を行使する・しないで後悔するもしないも、それは『縁』ってモンでしょうし(苦笑)。